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絵葉書「高岡物産陳列所」

概要

絵葉書「高岡物産陳列所」

その他 / 富山県

発行:棚田書房(高岡市)

たなだしょぼう

富山県高岡市

明治42~大正6年頃/1909~17年頃

紙・モノクロ印刷

縦9.0cm×横13.9cm

1葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-214

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡物産陳列所の写真絵葉書である。この建築物は明治17年(1884)築の県立高岡病院で広壮な和風建築であったが、以後、多くの施設に転用され、同42年の皇太子(後の大正天皇)北陸行啓のために市が整備改修したものである。「この建物は(中略)地元民の非常な熱意と協力により県が造営したもので、当時としては規模広大・輪奐端麗、しかも堅牢無比で、模範的建築と推称された」(『高岡市史』下巻,p594,昭和44年)というその勇壮な姿がうかがえる。また向かって左には、台座上にのる甲冑姿の武者の像がみられる。
記載事項は裏面(写真面)には、青字で「高岡物産陳列所 BSSANCHINRETSUSHO.」(U抜け)とあり、表面(通信面)上部には茶色の字により、右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。点線の上には「(高岡市棚田書房発行)」とある。1-05-213の【1】~【3】との共通点が多く、特に文字の色も同じ【1】は同時期のものと思われる。
未使用。

【高岡物産陳列所】
明治42年(1909)8月、高岡市桜馬場に特産品の改善・振興を目的に創設された施設。前身は富山県工芸品陳列場であった建築物を市が買収したものである。この建築物は同17年(1884)築の県立高岡病院で広壮な和風建築であったが、以後多くの施設に転用された(建築物の変遷は煩雑につき、下記年表を参照)。
大正10年(1921)「高岡市商品陳列所」と改称、のち昭和12年(1937)4月「高岡市商工奨励館」と改称された。翌13年以降戦争の激化に伴い業務を縮小し、同18年(1943)には陳列品を疎開。本館は代用品製作場となり本来の業務を十分行えぬまま終戦を迎える。
昭和26年(1951)4月、商品陳列所内に市金属指導所が開設。市の財政難のため同36年(1961)10月主業務を高岡市特産センターに移され、一時は廃止。しかし、同44年(1969)4月高岡市デザイン指導所が設置され、同年10月同市丸の内に新築された高岡商工ビル内で復活した。同58年(1983)高岡地域地場産業センター内に、高岡市工芸デザイン指導所設置。そして、平成11年(1999)7月、高岡市デザイン・工芸センターが設置された(高岡市オフィスパーク5番地)。

<建築物の変遷>
・明治17年(1884)、富山県立高岡病院創設。
・同23年(1890)3月、県立高岡病院廃止。のち、水波教校が借用。
・同26年(1893)4月、富山県立工芸品陳列場開設。
・翌27年10月、富山県工芸学校(現高岡工芸高校)の仮校舎となる(翌年、現在地に新築移転)。
・同33年10月、高岡警察署となる。
・同41年10月、市は3,000円をもって県より払い下げを受け、高岡物産陳列所を新設。さらに約1万円を投じて御座所と庭園を新築し、皇太子(大正天皇)の行啓を迎えた。
・駅前再開発用地にあたったので、昭和33年(1958)まで利用された(その後、昭和44年発行の『高岡市史』下巻p1138に「今日もなお移築して農業団体に利用されている」とあるが、移築先は不明である)。

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キーワード

高岡 / 絵葉書 / 棚田 / 行啓

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