文化遺産オンライン

絵葉書「高岡みやげ 高岡名勝」(高岡御車山)

えはがき「たかおかみやげ たかおかめいしょう」たかおかみくるまやま

概要

絵葉書「高岡みやげ 高岡名勝」(高岡御車山)

えはがき「たかおかみやげ たかおかめいしょう」たかおかみくるまやま

その他 / 富山県

発行:有馬売店

富山県高岡市

大正7~昭和7年頃/1918~32年頃

紙・印刷,手彩色

各 縦14.3cm×横9.9cm

7葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-195

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

【1】高岡御車山守山町
【2】高岡御車山御馬出町
【3】高岡御車山一番町通リ
【4】高岡御車山二番町
【5】高岡御車山小馬出町
【6】高岡御車山通リ町
【7】高岡公園ニ於ケル皇太子殿下御車山御台覧ノ光景(明治四十二年)

高岡御車山祭の各町の山車の彩色絵葉書。【7】は明治42年(1909)の嘉仁親王(後の大正天皇)高岡行啓の様子。古城公園本丸広場に7台の御車山の山車が勢揃いし、羽織・袴を身に付けた人々が写っている。すべて未使用。
付属品のタトウには「高岡みやげ/高岡名勝」「発行所/高岡市駅構内/有馬売店」と記されている。


【嘉仁親王北陸行啓】
 明治22年(1889)立太子式を挙げた嘉仁親王(後の大正天皇)は、御成人以来、近畿・東海をはじめ奥羽・九州に至るまで、全国各地を行啓した。同41年、北陸三県の県知事が上京したことで北陸行啓が内示された。
 高岡では奉迎事務臨時委員規定を設けて、市参事会員・市会議員・市公民中から39名を委嘱した。御座所・庭園の新築、物産陳列所の新設、高岡古城公園の修築並びに献上品調製の準備の他、高岡史料の編纂、高岡商業学校講堂の新築、道路修繕が進められた。
 嘉仁親王は、明治42年(1909)9月15日に東京発駕、岐阜・福井・石川各県を行啓した後、同月29日に高岡駅に到着し、伏木へ向かった。
初日は、伏木で埠頭の御野立所から港内外の景観を望見した後、公会堂に入り、勝興寺出品の文化財や学童の体操、二上村の獅子舞などを台覧した。伏木から福野の福野農学校を視察して、富山の県会議事堂で宿泊した。
2日目は、藤井能三・堀二作・鳥山敬二郎・塩崎利平などが県の功労者として御座所に招かれた。
3日目は富山・魚津を視察した。
4日目の10月2日が高岡行啓の日となり、高岡中学・工芸学校を視察し、御野立所の古城公園本丸広場にて7台の御車山や学童の手信号体操を台覧した。桜馬場の御座所での昼食の後、物産陳列所・市立高岡商業・県立高岡高女・瑞龍寺も視察し、富山の宿泊所へ戻った。翌日早朝、帰路の途に就いた。
嘉仁親王の北陸行啓は、高岡開町300年の節目の年だった。
(高岡市史編纂委員会編『高岡市史』下巻,青竹書院新社,1969)

関連作品

チェックした関連作品の検索