久津川古墳群
久津川車塚古墳
丸塚古墳
芭蕉塚古墳
久世小学校古墳
くつかわこふんぐん
くつかわくるまづかこふん
まるづかこふん
ばしょうづかこふん
くせしょうがっこうこふん
概要
S53-06-014[[久津川車〓(*1)]くづがわくるまづか]・[[丸塚古墳]まるづかこふん].txt: 木津川右岸の丘陵やその縁辺にひろがる低い台地上には多くの遺跡が形成されている。城陽市の久津川古墳群は、平川の低い台地上に所在する南山城地方最大の古墳群であり、10数基の古墳からなっていた。近年の急激な開発によりその多くが失われ、今日では車〓(*1)、丸〓(*1)、芭蕉〓(*1)、青〓(*1)古墳などがのこされるにすぎない状況となり、その周辺にも宅地開発の波がおしよせている。
車〓(*1)古墳は、全長184メートル、後円部径114メートル、前方部幅107メートルをはかる大規模な前方後円墳であり、南に向いている。墳丘は3段に築成され、各段に埴輪列をもち、幅5メートルの平坦面が段ごとに作られ斜面には葺石をふいている。後円部中央には長持形石棺が所在し、鏡7面、甲冑5領のほか多数の玉類が発見されている。墳丘の周囲には幅20メートル、深さ4メートルの周濠がめぐっており、したがって濠を含めた全体は、全長224メートル、幅164メートルとなる。周濠の外側には幅8メートル以上の外堤がめぐらされており、幅13メートルをあけて内・外両側縁に埴輪列が二重に樹立されている。
この車〓(*1)古墳の西に存した寺山古墳はほぼ同規模の大形前方後円墳であったがすでに削平されてその形状をとどめず、本古墳の推移をうかがう上で大きな支障となっている。丸〓(*1)古墳は、車〓(*1)古墳の東方約150メートルの地に位置する方墳であり、一辺42メートルをはかる大規模なものである。その軸は、ほぼ車〓(*1)古墳に合致しており、時期的にも近接するものかとされている。現在、周濠、外堤などは指摘できないが、埴輪、葺石などはおそらく存在するものと推測されている。
今回、久津川古墳群のうち、地元との調整のついた車〓(*1)、丸〓(*1)古墳を指定するが、今回指定し得ないものの、車〓(*1)古墳の北に全長110メートルをはかり周濠、外堤をもち埴輪列、葺石を具えた芭蕉〓(*1)古墳、長方形の周濠内に前方後方墳を配した東向きの青〓(*1)古墳などがなおのこされている。いずれにせよ、南山城最大の古墳群として、また5世紀代を中心に以降まで連綿と系譜的に各墳が築造されていく古墳群として極めて重要なものである。