横見廃寺跡
よこみはいじあと
概要
S52-12-040横見廃寺跡.txt: 三原市を河口とする沼田川を遡ること10キロほどで、本郷町となる。この本郷町辺は小盆地を形成しており、安芸国と備後国の境いに近く、古くは安芸国沼田郷に含まれていた。
3次にわたる調査の結果、講堂跡・塔跡かと考えられる遺構、築地跡などが検出されている。
講堂跡は、平瓦を地面にたてならべる特異な基壇化粧をもち、その規模は南北推定28.8メートル、東西19.2メートルを測り、建物の平面規模は桁行7間、梁間4間と考えられ、25.5メートル×15.1メートルの建物であることが明確となり、また、西向きという特異な建物であることも判明した。この基壇の南側では回廊が発見され、9メートル南へのび西折することが確かめられている。講堂跡の西前面は未調査であるが、西北方では、塔または北金堂かと考えられる遺構が発見されている。この建物は、瓦積化粧の基壇をもち、階段と思われる東西1.8メートル、南北1.1メートルの張り出しがある。この階段の心をとって復原するならば、南辺はほぼ12.3メートルを一辺とすることが明らかである。南北の長さが不明で、塔ないしは金堂とみることが可能である。
本寺の寺域は、北辺を示す築地が検出されており、伽藍中軸線から北に38メートル強の位置を東西に走っている。現地形からみれば、寺域は東西100メートル、南北80メートル前後かと推定される。遺物には金銅製忍冬文飾金具をはじめ、山田寺式軒丸瓦、あるいは大和若草伽藍跡などで用いられた忍冬文軒丸瓦が本寺跡の屋瓦の中核をなし、白鳳時代に草創をみた寺院跡であることを物語っている。
安芸国沼田郷内に設立された白鳳時代寺院、わけても、そのうちでも比較的早い段階の寺院跡として重要であり、伽藍が西に向かうといった配置を示すなど、注目すべき特色をそなえている。