三ツ塚廃寺跡
みつづかはいじあと
概要
S51-6-020[[三ツ塚廃寺]みつづかはいじ]跡.txt: 竹田川の右岸の低い丘の上に所在する白鳳時代創立の寺院跡である。昭和47年より4年間にわたり市島町教育委員会が調査した結果、きわめて特異な伽藍配置をとる寺院の全容がほぼ明らかにされた。
中門、東門、西門は2本柱の掘立柱の遺構であり、北門は、築地垣のとりついた低い基壇をもつものであり、南門も同様かと考えられる。こうした四至の内に、三ツ塚と呼ばれる3つの基壇が東西に一列に並んでいる。東・西両端の基壇は、いずれも塔であり、中央の基壇が金堂であることが判明した。東・西両塔は、丁重に版築した基壇であり各辺10メートルをはかり、縁を瓦積みして化粧している。東塔には旧地表を穿ち1.5メートル×1.4メートルの平面をもつ厚さ0.4メートル程の薄手の花崗岩の表面に径89センチ、深さ1.5センチの浅い円形受座をほり、その中心に径・深さともに11センチを測る舎利孔をもつ心礎を据え、基壇を築いている。金堂は東西12.8メートル、南北10.3メートルを測り若干の礎石をみる。金堂の北には講堂がみられず北東に偏ってそれかと考えられる遺構が所在し、特殊な地方色ともいうべき伽藍配置の一例を示している。
なお、北門の北方にはおびただしい掘立柱建物が見られ注目されるほか、東南方には本寺跡に屋瓦を供給した瓦窯が発見されており、あわせて今回指定し保存をはかることとした。