イーハトーブの風景地
鞍掛山
七つ森
狼森
釜淵の滝
イギリス海岸
五輪峠
種山ヶ原
いーはとーぶのふうけいち
くらかけやま
ななつもり
おいのもり
かまぶちのたき
いぎりすかいがん
ごりんとうげ
たねやまがはら
概要
日本の代表的な詩人及び童話作家である宮澤賢治(1896〜1933)の作品には、岩手県地方の独特の風土を表す自然の風景地が多く登場する。それらは理想の大地として賢治が名付けた「イーハトーブ」を構成する場所であり、今もなお美しい風景を伝えることから、日本中の多くの人々に愛されている。
鞍掛山は岩手富士として名高い岩手山の南麓に位置し、馬の背に鞍を伏せるが如く緩やかな盛り上がりを見せる標高897mの山である。賢治は、その立地と形状から、岩手山に先行して形成された成層火山の山体の一部が残存したものと指摘した。彼は鞍掛山とその麓の「をきな草」が咲く草地を愛したとされ、「白い鳥」など複数の散文詩に「くらかけ山」の風景を詠んだ。
七つ森は岩手山南麓の雫石盆地に連続して展開する7つの小独立丘で、標高348mの生森をはじめ鉢森、小鉢森、三手森、三角森、石倉森、稗糠森から成る。詩集『春と修羅』に収められた「屈折率」など七つ森を題材とする多くの詩作が遺されており、森林に覆われた独特の景観は現在でも田園風景の中にあって一際目立つ重要な目印となっている。
狼森は、小岩井農場の敷地内にある標高約380mの独立丘陵である。散文詩「小岩井農場」では、周辺に点在する笊森、盗森などとともに、人間関係及び人間と自然との関係を表す象徴的な存在として描かれた。
釜淵の滝は幅が約25m、比高が約8.5mあり、台川の峡谷底から球形に盛り上がる岩床の表面を舐めるように水が洗う美しい瀑布である。童話『台川』では、自らの野外授業の経験に準えて、教師が生徒を連れて訪れた釜淵の滝の風景が描かれた。
五輪峠は遠野街道沿いの標高556mの峠で、合戦で死亡した武将の供養のために立てられたとされる五輪塔にその名の由来がある。仏教世界において物質の5元素とされた空・風・火・水・地をそれぞれの石に象った五輪塔とそれを取り巻く峠の風景は、賢治をして物質の根源をめぐる哲学的思考へと促し、散文詩「五輪峠」などにおいて宗教・科学・土俗を一元的に捉える独特の世界観を表現した。
種山ヶ原は北上山地南西部に広がる標高600mから700mのなだらかな隆起準平原で、標高870mの物見山を中心として広がる草地と樹林帯では、江戸時代に伊達藩直営の放牧地としての利用が始まった。童話『種山ヶ原』や『風の又三郎』において、牛や馬を追いかけて迷子になった子どもたちが突然の驟雨に出会ったのが種山ヶ原であり、日常生活の外側の異界へとつながる空間として描かれている。また、賢治は岩塊が露出する種山ヶ原の最高地点「物見山」を「種山モナドノック(残丘)」と名付けたことでも有名である。
これらの多様な地形と樹叢が持つ風景上の価値は、地形学・地質学に通暁した賢治の鋭い観察眼を通じて科学的に把握され、創作活動の重要な母胎となった。さらに、それらは彼独特の自然観及び世界観の醸成において大きな意味を持ち、やがて理想の大地を表す「イーハトーブ」の核心にまで昇華した。個々の風景地が持つ観賞上の価値、学術上の価値はともに高く、よって一群の風景地として名勝に指定し保護を図ろうとするものである。
<18.7.28追加指定>
宮澤賢治(1896〜1933)が理想の大地として「イーハトーブ」と呼んだ風景地のうち、ドーバー海峡の海食崖地形に似ていることから「イギリス海岸」と命名した北上川の区域について追加指定する。