「衆人皆酔 云々」二行書
「しゅうじんみなよう うんぬん」にぎょうしょ
概要
副島種臣は佐賀藩校弘道館教諭で国学者であった枝吉南濠の二男として佐賀城下南堀端小路に生まれた。維新後は明治政府で政治家として活躍した副島種臣は、和漢洋にわたる広い学識を備え、漢詩人・書家としても知られている。兄の枝吉神陽は父南濠とともに徹底した日本一君論者で、古代法制の知識は他を圧倒していた。慶応4年(1868)明治政府に出仕し福岡孝弟とともに政体書起草に従事できたのも、兄神陽の薫陶があったためである。また種臣が書く詩文の文体が擬古文調であるのも神陽の感化によるものである。書について種臣は、字の形を整えようと考えず、一角一角に全心を込めてできるだけ遅く書く事を続けていけば、曲がっていても筋の通った字ができると述べている。「衆人皆酔。我独醒」という楚の詩人・屈原の「漁父辞」句を書した本品からも、こうした種臣の書の理念をうかがうことができる。