称名寺境内
しょうみょうじけいだい
概要
S43-12-020称名寺境内.txt: 称名寺内界の指定は、元亨3年の「称名寺結界図」によるもので、いわば清浄地の範囲を指定したもの。もとより境内はそれより広く、文永の北条顕時の寄進状や観応の足利尊氏の所領安堵状にみえる「称名寺寺内寺外敷地」とある「寺内」は、結界図の周辺をふくみ、山林、山畠をも包含している。おそらく寛政3年と思われる絵図に、「境内惣坪合六万八千百四拾六坪弐歩五厘」と記されるが、この絵図の示す境内地もまた、海岸尼寺から、日向山麓の海沿いの地域をふくみ、それから日向山、稲荷山、金沢山の3山にかけて寺域の界線がひかれ、さらに惣門から仁王門の間の塔頭地域もふくまれている。
よって、あらたに内界周辺の上記境内地を追加指定し、史跡の名称を称名寺境内と改める。