海童神社
かいどうじんじゃ
概要
文禄2年(1593)豊臣秀吉が征韓のため肥前名護屋に陣を設けたとき、津軽為信が津軽藩の侍、弓鉄砲を派遣するため軍の兵糧運搬置場を船岡に開いた。その時、そこの一角に社殿を建立、海神を勧請し、海上の安全、国土繁祥の祈願所とした。この時、海童神社は、宝量宮と称し、祭神は、海神三座(底津綿津見命、中津綿津見命、上綿津見命)であった。正保元年(1644)に宝量宮が退廃したので村民が大川(岩木川)の守護として、神社の建立を藩に願い出たところ、社名はそのままで祭神は、大昨主命(おおくいぬしのみこと)虚空蔵尊も祭ることで許可になったので、川端町野木喜兵衛の屋敷沿いの畑にある大柳の下に社殿を建立した。しかし、境内が出水のたびに決壊したので承応元年に現在地に遷宮された。明治6年(1873)社名を海童神社と改め、祭神を海神三座とし郷社に列せられ、明治40年に神撰幣帛料供進指定神社に列格された。現在の社殿は、大正15年(1926)に当時の通貨で6万有余円を投じて造営されたものである。また、海童神社は、平成25年(2013)に鎮座420年目を迎えることとなる。