裸婦
概要
鳥取県に生まれた前田寛治は、東京美術学校卒業の後、約2年半のフランス留学を経て帰国、1926(大正15)年、佐伯祐三らと一九三〇年協会を結成し画壇の新勢力として注目された。絵画理論や評論にも健筆をふるったが、33歳の若さで病没した。
本作は一九三〇年協会第4回展出品作。病床の画家が編集に関わった『前田寛治画集』(日本芸術学協会)にも掲載されており、自信作のひとつであったと思われる。横たわる裸婦は滞仏中から持続的に追求した画題であるが、本作は、曲げた左肘や陰影に沈む頭部、上半身から足先までゆるやかにねじれた身体の巧みな描写などに特色がある。また、裸婦像との調和を追求した背景のトーンの処理や、左下に傾斜する人体の線とやや右下がりのベッドの線とが作るくさび型の構図も、彼が意識的に取り組んだ作画上の要点であり、それがルネサンス期から近代までの西洋の裸婦像を踏まえた試みであったことは画家の著述からもわかる。