陸軍第七通信連隊一二八部隊 防空壕
りくぐんだいななつうしんれんたいひゃくにじゅうはちぶたい ぼうくうごう
概要
陸軍第七通信連隊一二八部隊 防空壕
りくぐんだいななつうしんれんたいひゃくにじゅうはちぶたい ぼうくうごう
三重県
第二次世界大戦中の昭和17年(1942)12月15日に編成された、陸軍第七通信連隊一二八部隊の駐屯地が明和町斎宮の北野に設置された。部隊は終戦前の昭和20年6月25日に解隊されている。本防空壕は、この駐屯地の施設の1つとして連隊本部の西約50mの位置に建設されたものである。
現在は、宅地造成のために東側の一部が失われているが、本来の平面形状は十字型で、コンクリート部の復元規模は東西約13m、南北6.7m、東西に8段の階段で下りる出入り口があり、地下式の防空壕としては比較的小型のものである。
構造は、鉄筋コンクリート造で完成後に露出する表面部分をモルタル仕上げとしており、地表から約1.1m下がったところでアーチ天井の水平通路となっている。通路中央部の南北にはそれぞれ部屋が設けられている。北側の部屋は内法が1.8m四方の角部屋で、通路と同様のアーチ天井である。部屋の中央部には爆風よけと考えられる壁が設けられ、最奥部には木製の棚が設けられていた痕跡がある。南部屋は内法が東西1.8m、南北2.83mの長方形の部屋で、やはり通路と同様のアーチ天井である。南北の部屋の入り口は中央の東西通路に向いているが、向かい合いにならないように位置をずらして設けてある。これは、それぞれの入り口に本来取り付けられていた扉が干渉しないようにするためと考えられる。
また、コンクリート製の防空壕本体の上には、本来掩蔽のために土が盛られて東西の入口だけが露出するようになっていたと考えられるが、現在は盛土がかなり削平されている。
当防空壕の用途について地元の伝承では、一般兵用ではなく連隊本部の士官専用のもので、北側の部屋は天皇陛下の写真を置く場所があったと言われている。
【規模】
平面形:元は十字型(現在はT字型)
復元長:約13m 幅:6.7m
北部屋:1.8m四方 南部屋:東西1.8m、南北2.83m
【保存状態】
良好。(東側出入り口のみ削平)
【時期】
第二次世界大戦時(昭和17年前後)
三重県多気郡明和町大字斎宮字北野3651
明和町指定
指定年月日:20160323
記念物