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旧万徳院庭園

きゅうまんとくいんていえん

概要

旧万徳院庭園

きゅうまんとくいんていえん

名勝 / 中国・四国 / 広島県

広島県

山県郡北広島町

指定年月日:20020920
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

戦国大名毛利氏の一翼を担い,主に山陰地方で活躍した吉川元長は,大勢の神仏の加護(万徳)を得るために天正2(1574)年から翌年にかけて「諸宗兼学」の寺として万徳院を建立,生存中は別邸とした。天正15(1587)年の元長の死後菩提寺となり,慶長5(1600)年吉川氏の岩国移封に伴い,万徳院も同地へ移転した。
 万徳院は,東西を小高い丘陵尾根と谷川に挟まれた南向き緩斜面に立地する。南側正面には,中央と東側に入口をあけた高さ2m,長さ55mの石垣を設け,面積約3,000m2の境内を造成している。
 庭園は境内中央本堂の西側に池庭,北側に霊屋と坪庭風小庭を配する。創建当初の建物は本堂と庫裏の一部のみで,菩提寺になると同時に大規模な改造がなされ,建物を増設し,石垣や庭園を築造した。
 境内主要部の約四分の一を占める池庭は,南北約30m,東西12〜18mの南側が膨らんだ長円形の池に,南北約18m,東西8mの船に見立てた中島を中央北寄りに配し,御座間とみられる本堂南西隅の6畳間からの観賞を主眼として作庭されている。この構図は,やや大振りではあるが名勝退蔵院庭園(「元信の庭」と称される)に通じ,地割り造成の構図には見るべきものがある。また,正面石垣中央の門を入ったところから見ると,中島の立石は,益田万福寺の「雪舟庭」を連想させ,鑑賞主軸を二方向持っていたと思われる。
 この池庭は,旧来の谷川をそのまま取り込んで南北で約80cmの高低差があり,水を湛えた池ではなく,流れの池であった。導水路は旧来の谷川を利用しているため,池庭自体を遊水池として出水時の備えとし,最下流部はわずかな溜まりとなって溢流し,南端池尻から栗石暗渠を経て排水される。石はやや角張ったもの使い,中島護岸の石組は,境内前面の石垣手法に共通している。
 本堂北側の霊屋と板塀で囲われた坪庭風小庭は,築山前面に石組みを配して2段落ちの小滝となし,前面に小さな池を設けている。水は西側の谷筋から小水路を設けて導水している。本堂書院とみられる8畳間に付随した庭園であったと考えられ,建物に囲まれた小空間に変化を持たせてうまく修飾している。
 このように,万徳院庭園は,立地の特性を生かした地割りを行い,水処理などに工夫をするともに,すぐれた時代的・意匠的特徴を示しており,戦国末期の中国地方を代表する武家の寺院庭園として貴重であり,名勝に指定してその保護を図ろうとするものである。

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