坪川氏庭園
つぼかわしていえん
概要
永平寺にほど近い越前地方の山間部に位置する坪川氏庭園は、独特の茅葺き屋根を持つ農家建築を中心として、敷地全体に縦横に張り巡らされた水の流れと、その途上に造られた池庭等の関連施設から成る。敷地を巡る水の流れは、樹林に覆われた背後の里山を水源とし、現在は菖蒲園となっている元の農地や茅葺きの主屋の背後に造成された池庭などに水を供給している。
池庭は主屋の東側に展開し、山裾の水路によって南方から導かれた水は、園池の東端中央部に位置する滝口から園池へと注ぎ込む。落ち口は3段から成るが、石組の水路がそのまま園池へと連続した形態をとる。
園池は南北に細長く、山裾部の斜面を掘削して造成されたためか、特に東岸には急勾配の部分や峡谷のように深い入り江を設けた部分があるなど、汀線の意匠は変化に富んでいる。護岸には大小の石を用いるが、滝口から南側の護岸は切石が混じる小ぶりの乱石積で、後補のものと考えられる。
園池の東に当たる山裾部には、景石を随所に配置する。特に入り江の東側には立石から成る石組があるほか、その北側にも景石群が配置されている。
主屋は17世紀中頃の農家建築で、現在見る池庭は江戸時代後期から明治時代初期にかけて整えられたものと考えられる。豪雪地帯の農家として開口部の小さな建築構造を持つことから、池庭を観賞するために一旦屋外に出なければならなかった事例として貴重である。
主屋及び池庭の周辺は、山から導かれた水の流れ、菖蒲園、巨樹を含む屋敷林などが良好な環境を形成しており、坪川氏庭園の重要な特質ともなっている。
以上のように、主屋に隣接する池庭を中心に、近世豪農に起源を持つ農家の庭園として坪川氏庭園が持つ造園史上の意義は深く、同時代に属する類型の中でも、特に意匠又は構造面の特徴となる造形をよく遺していると考えられる。