毛利輝元書状〈十月廿九日/養仙宛〉
もうりてるもとしょじょう
概要
毛利輝元が吉見広頼に対し伊予国へ軍勢三百人を派遣するように命じたことを、養仙に伝えた書状。『萩藩閥閲録』三隅勘右衛門に収録されている文書の原本であり、宛所の養仙は、三隅壽久にあたると考えられる。
天正12(1584)年9月から長宗我部元親は南伊予に侵攻し、10月には宇和郡を経て喜多郡の北部付近まで制圧していった。これに対し、河野氏と同盟関係にあった毛利氏は、10月頃から援軍を喜多郡へ向けて派遣させ、桂広信・桂広繁・平賀元相・木梨元恒らが渡海する。道後の河野氏が火急の事態なので追々軍勢を渡海させるつもりであり、まずは広頼の軍勢を渡らせるよう取り計らうことを指示した内容で、これらと一連の状況を伝えるものある。
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愛媛県歴史文化博物館