根崎八幡神社の絵馬及び奉納額
ねさきはちまんじんじゃのえまおよびほうのうがく
概要
根崎八幡神社の絵馬及び奉納額
ねさきはちまんじんじゃのえまおよびほうのうがく
江戸後期/①1795年、②1797年、③1840年
①板地彩色、②板地彩色、③板地墨書
①縦65.7cm×横92.6cm、②縦156.5cm×横203.5cm、③縦77.0cm×181.6cm
3面
安城市指定
指定年月日:20140110
①奉納者である山本氏は、根崎村で庄屋を務めた家柄と伝えられる。②奉納者である「源正賢」は、領主であった松平正賢である。正賢は三千石の旗本であり、根崎に陣屋を構え、根崎村、東端村、和泉村を知行していた。絵師の「狩野素川」は、狩野派の画家で幕府の御用絵師であったとされる。③奉納者「源正相」は、「群馬図」を奉納した松平正賢の子正相(後に正延)である。文政6年(1823)年に知行地を引き継いでいる。
根崎八幡神社
有形民俗文化財
根崎八幡神社は、寛永15(1638)年に津島牛頭天王社を祀ったことがはじまりとされる。元禄7(1694)年、領主松平正基の屋敷近くにある江戸深川八幡(現在の富岡八幡宮)から勧請し、寛保4(1744)年頃に現在の本殿を造営した。①「為朝と鬼の力競べの図」は、彩色の剥落はあるものの図柄ははっきりとしている。武者絵の図柄は多いが、市域で源為朝を素材としたものは本資料が唯一である。表には奉納者の姓が、裏には奉納年月日とともに絵師名と作成した大工名が記される。②「群馬図」は、水辺で戯れる馬の親子が描かれた伝統的な画題である。剥落しているものの、画面全体に金箔が散らされ、枠に取り付けられた金具には金メッキが施されており、奉納時は非常に豪華なものであったとわかる。表に奉納年と奉納者、絵師名が記されている。③「人者依神之徳添運」は、文字の書かれた奉納額である。表に奉納年と奉納者が記されている。