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井伊直弼公敬慕碑

いいなおすけこうけいぼひ

概要

井伊直弼公敬慕碑

いいなおすけこうけいぼひ

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 明治 / 関東 / 東京都

東京都

明治時代/1901

竿石(安山岩)、台石(安山岩)

総高382㎝
竿石 高さ333㎝、幅126㎝、奥行き20㎝
台石 高さ49㎝、幅186㎝、奥行き60㎝

1基

東京都狛江市中和泉三丁目21番8号

狛江市指定
指定年月日:20150317

宗教法人伊豆美神社

有形文化財(美術工芸品)

 井伊直弼公敬慕碑は、伊豆美神社に所在する石碑で、明治34年12月に建てられたものです。石碑の正面には「故正四位上左近衛中将井伊直弼公敬慕碑」と大きく刻まれ、裏面には上部に「開港碑」の篆額、下部に銘文が刻まれています。また、石碑の台石の正面と裏面には、石碑を建てるために寄付金を拠出した378名の名前が刻まれています。
 この石碑は、開国を成し遂げた井伊直弼の功績と井伊家に儒学者として仕えた小町雄八の遺徳を伝えるものです。伊豆美神社の小町苠の主導の下、狛江村和泉地域の人々が中心となり、狛江村を挙げての運動によって建てられたと考えられます。
 石碑が建てられた背景には、江戸時代、和泉村の一部が井伊家世田谷領だったこと、井伊家に儒学者として仕えた小町雄八が和泉村の出身だったことなどがあり、井伊直弼と小町雄八を狛江村の誇りとして広く伝えていこうとする意図がうかがえます。
 また、石碑の台石に刻まれた寄付金の拠出者は、約2割が狛江村の人物と想定され、その他に、三多摩地域の有力者や神奈川県橘樹郡等の有力者の名前を確認することができます。石碑から、狛江村の人々の広範囲に及ぶ人的ネットワークをうかがうこともできます。
井伊家に仕えた旧家臣は、明治42年に、ようやく横浜の掃部山に銅像を建てることができました。これに対し、井伊直弼公敬慕碑が建てられたのは、明治34年のことでした。井伊直弼公敬慕碑は、井伊直弼を顕彰するものとして最初に建てられたものであり、また、狛江村の村人たちが、自らの村の歴史を顧みつつ、井伊直弼と小町雄八の功績を広く伝えていくために建てられたものであり、狛江市の歴史にとって重要な文化財になります。

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キーワード

/ 石碑 / お茶 / 直弼

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