飯塚観世音三十三番石仏
いいづかかんぜおんさんじゅうさんばんせきぶつ
概要
飯塚地域の中で中山地区は、飯塚神明社を中心として重要文化財神明社観音堂、木像観音像28躯、木像十王像10躯、地獄絵図、釈迦涅槃図など集中し、飯塚地区では古くからこの地域を信仰上の神聖なる場としてきたと推察される。
1835年(江戸後期)の天保6年から天保12年までに観世音三十三番石佛が設置された。
1833年(天保4年)に江戸三大飢饉の一つである天保の大飢饉が発生し、各地で多くの餓死者がでた。飢餓による死者を供養するためにこの石仏が寄進されたものと推察される。
一部他村(四カ所)の住人が参加しているが、概ね飯塚村民(二田家、門間家、富樫家)により設置されている。