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平田家住宅 主屋1棟 座敷4棟 門2棟 瓦塀1棟 付主屋棟札1面

ひらたけじゅうたく おもや ざしき もん かわらべい つけたりむなふだ

概要

平田家住宅 主屋1棟 座敷4棟 門2棟 瓦塀1棟 付主屋棟札1面

ひらたけじゅうたく おもや ざしき もん かわらべい つけたりむなふだ

城郭建築 / 明治 / 九州

明治12年

平田家住宅は主屋1棟、座敷4棟(座敷、数寄屋、客殿、新座敷)、門2棟(表門、東門)及び瓦塀1棟からなる。
主屋は、桟瓦葺入母屋造りの木造2階建てである。座敷は主屋北側の座敷、主屋北東の数寄屋、西側の客殿、南側の新座敷の4棟が現存する。主屋北側の座敷は、桟瓦葺の木造平屋である。天井吊木を梁に打ちつけた和釘の使用が認められる。現在、主屋と座敷の間は隔たれているが、本来は仏間と廊下によって主屋と繋がった建物である。道路に面した北側は、店舗が増築され改造が著しいが、構造材や一部の造作材が現存しており、建築当初の形式が推定可能である。北東の座敷は白壁仕上げの数寄屋で座敷と次の間からなる茶室である。床(トコ)には丸窓が付き、丸窓の形状に柱が切られる。南東部には増築部が見られるものの当初の建物が残っている。南側の新座敷と西側の客殿は、庭園を中心に配置されており、その建物構成と礎石配置から、ほぼ同時期に創建されたものと考えられる。新座敷は主屋からのびる廊下を建物内部まで取り込んだ平面構成で、床の間、脇床、琵琶床、付書院を備えた造りとなっている。客殿は、主屋から廊下と庭園にかかる太鼓橋でつながる貴賓室である。
表門は建物北側の街路に面した一間一戸の大規模な薬医門である。門扉には八双金物、饅頭金物、鋲が要所に使用されている。表門から東西にのびる瓦塀は、現状で敷地の北側と東側の二方を囲むが、当初から残る白壁は表門両脇の北側に面する部分である。東門は建物東側に位置する一間一戸の薬医門である。舟肘木や斗など表門と比べてより意匠的な部材が入っている。

主屋1棟 座敷4棟 門2棟 瓦塀1棟 付棟札1面

小郡市指定
指定年月日:20160816

個人

有形文化財(建造物)

主屋は、棟木に打ち付けられた棟札から、明治12年に平田伍三郎高徳によって再建されたことが明らかとなっている。また、平田家に保管されていた写真には、既に解体された南側別棟の棟木に墨書で「嘉永七年」とあり、この建物の創建年代が1854年以前に遡る可能性もある。また、前身建物がその時期に創建された可能性も考えられる。
主屋北側の座敷は、現在、主屋との間はが隔たれているが、本来は仏間と廊下によって主屋と繋がった建物である。北東の座敷は本来、小郡中尾(大原中学校北側)に建てられていた平田家別荘「水月庵」であり、移築されたものである。創建年代は不明だが、様式から明治後期から大正初期と推定される。大正5年の移築前の写真が残っている。南側の新座敷と西側の客殿は、新築記念として昭和3年に撮影された写真が残っていることから、創建年代はこの時期と考えられる。表門の創建年代は不明であるが、門鎹の形状や部材の風化度合いから江戸期に造られ、移築されたものと考えられる。控柱の礎石は、現在コンクリートによって補強されているため、規模は不明である。瓦塀は、表門両脇の北側に面する部分である。東門は建築年代が不明だが、門鎹の形状から明治期以降のものと考えられる。

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