花模様西洋刺繍
はなもようせいようししゅう
概要
明治7年(1874)、佐賀の乱の報に接しイギリス留学から一時帰国した11代鍋島直大(旧佐賀藩主)は、胤子(たねこ)夫人を同伴して再渡欧。胤子は現地で語学や舞踏、ピアノの稽古などに励み、また女性の修養に必須として縫物や刺繡にも熱心だった。この刺繍はイギリス滞在中の胤子の作で、15色程の糸を用いて細い枝や小さな丸い蕊、厚みをもった花弁や葉が一針一針丁寧に表されている。
さらに、刺繍を美術的に制作するためには絵の素養を身につける必要があるとして、直大の側近であり、のちに洋画家としても名を馳せる百武兼行を相手役に、画家リチャードソンから洋画を学んだ。胤子について、直大は自筆の略伝で「英国に同行し、御内命を奉し西洋風の貴族風を学ぶべしと云事にて英佛二ヶ国語を学び、夫を助け交際に尽力せし人なり」(「復暦本書」)と称している。