落葉
おちば
概要
平櫛田中《落葉》
15歳で丁稚奉公に出された田中は、近所の貿易商が商う工芸品をきっかけに美術に興味を持ち、21歳で人形師中谷省古に弟子入りした。木彫に彩色を加え、生き人形と呼ばれる作品を制作する中谷に木彫の基礎を学んだことは、竹内久一や森川杜園を尊敬してやまない田中の彫刻観形成に大きな影響を与えたことが伺える。その後、禅僧西山禾山や岡倉天心から思想的な影響も受け、精神性の高い作品を数多く残している。
この作品のモデルは明治42年の晩秋、奈良の東大寺二月堂のあたりで見かけた僧侶の姿だという。寒そうに頭から頭巾をかぶり、両手も衣の中に隠して、落ち葉を下駄で蹴散らすような早足で歩いていく。その飄々とした姿に体を広げたモモンガのような面白みを感じた田中は、記憶に残った印象を作品にした。無彩色だが細部まで丁寧に刻まれた本作は、老僧の表情はもちろん風になびく僧衣までも違和感なく彫り込まれ、風が吹き抜ける周囲の空間さえ感じさせる。田中初期の代表作である。
【作者略歴】
1872(明治5)
岡山県後月郡西江原村(現井原市西江原町)に生まれる。本名片山倬太郎。1875年同村の田中家養子となり、1882年から広島県沼隈郡今津村(現福山市松永町)の平櫛家養子となる
1886(明治19)
大阪の小間物問屋へ奉公。貿易商の店頭に飾られた工芸品への興味から岡倉天心が創刊した「国華」を購読、また展覧会なども鑑賞するようになる
1893(明治26)
人形師(彫刻家)中谷省古に弟子入りする
1897(明治30)
上京、高村光雲に師事
1899(明治32)
日本美術協会展初入選、同展では1901年銀牌、1904年には金牌を受賞
1907(明治40)
日本彫刻会を結成。翌年第1回文展入選。晩年の岡倉天心の指導を受け、日本彫刻会展・文展などに出品
1914(大正3)
再興院展が開催されて以来同人となり出品を続ける。
1937(昭和12)
帝国芸術院会員
1944(昭和19)
東京芸術大学教授に任命(1952年に辞任)。帝室技芸員
1954(昭和29)
文化功労者
1962(昭和37)
文化勲章受賞
1979(昭和54)
12月30日、没