文化遺産オンライン

旧島津氏玉里邸長屋門

きゅうしまづしたまざとていながやもん

概要

旧島津氏玉里邸長屋門

きゅうしまづしたまざとていながやもん

宗教建築 / 江戸 / 明治 / 九州 / 鹿児島県

鹿児島県

江戸後期~明治初期

創建当時の長屋門は、旧玉里邸の敷地外縁部を形成する北側石垣の直上に、四脚門を中心とした左右に長屋を従えた建物であったと考えられる。これは、一般に城郭や大名屋敷等に見られるもので、廓や居城の辺縁部の石垣上に長く造られる多門櫓の中ほどに、棟高が左右より高い四脚門を開いたもので、本県では唯一の建造物である。全長は約70mあったとされているが、現在は門とその周辺部を残し、切り詰めた形で移設されている。

図面のとおり

1棟

鹿児島県鹿児島市玉里町27番1号

鹿児島市指定
指定年月日:20160323

鹿児島市

有形文化財(建造物)

旧島津氏玉里邸は、島津家第27代当主島津斉興によって天保6年(1835)に造営されたといわれる。
斉興没後は養女勝姫が居住していたが、明治12年(1877)の西南戦争の兵火により消失した。この時、北側の長屋門が焼失を免れたというが明らかでない。斉興の子久光は明治10年11月に玉里邸の再築を命じ、明治11年11月には玉里邸に入り自ら工事を指揮、翌12年3月に上棟式を挙行した。久光によって再築された玉里邸は、太平洋戦争中の昭和20年(1945)年7月19日に戦災を蒙り、西側の茶室と庭園、南側の正門及び北側の長屋門とその付近の建物を残して消失したとされる。その後、昭和26年(1951)に鹿児島市が玉里邸を買収。昭和32年10月に鹿児島女子高等学校の校舎が建設されることになり、同34年4月に天保山から全校移転した。長屋門は昭和61年の校舎増築に先立って、前年の昭和60年に移設工事が行われた。この工事で長屋の一部は元の位置に残し(現在の体育倉庫)、門と周辺部分については180度転換して現在の位置に移設された。なお、移設されなかった部分については撤去されたとみられる。

旧島津氏玉里邸長屋門をもっと見る

地方指定文化財データベースをもっと見る

キーワード

城跡 / 石垣 / 城郭 / 本丸

関連作品

チェックした関連作品の検索