鍋島直弘書
なべしまなおひろしょ
概要
縦7cmにも満たない、懐中に収まりそうなほど小さな紙片だが、二重の包紙にくるまれて伝来した。包紙には「盛徳院様御自筆」などと墨書されており、初代佐賀藩主鍋島勝茂の子で白石(しらいし)鍋島家の祖である鍋島直弘(なおひろ)の書と伝わる。
勝茂の嫡男忠直は疱瘡で早世したため、二代佐賀藩主には忠直の子光茂が26歳で就任した。光茂の和歌への執心など、時にその言動は叔父直弘らの眼に藩主として不適切なものと映った。そのため直弘は光茂に対して「鍋島家が続かなければ、御子様方はじめ譜代の者もみな滅却することでしょう。あなた様の不作法ゆえに」(「鍋島直弘口上覚書」)など辛辣な言葉で諫言している。その拠り所は、「思うところがありながら申し上げなければ、あなた様に対する不忠であり、泰盛院殿(勝茂)にとっても不幸に当たるからこそ、御機嫌をも憚らず申し上げるのです」(「鍋島直弘口上覚書案」)という、勝茂の時代を知る叔父としての使命感にあったようである。
「無欲慈悲正直」という言葉は、光茂との関係を見るとき、直弘の使命感を象徴するかのようである。