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木造聖観音菩薩立像

もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう

概要

木造聖観音菩薩立像

もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう

日本画 / 平安 / 近畿 / 京都府

京都府

平安前期

一木造,彩色。針葉樹材(カヤか)製。頭体の主部は,蓮肉を含めて1材で彫出。木心は右前方にわずかに外す。内刳りはない。左肘,両手首,天衣両垂下部,同左遊離部,同左遊離部下方でそれぞれ矧ぐ。表面は錆地に白色の彩色層があり,頭髪部を除き,その上層に黒色を塗る。眼球部には白色を塗り,瞳,目頭,眼瞼裂,眉,ひげを墨描,唇には朱彩をほどこす。像底中央に台座心棒を挿したとみられる枘孔をうがつ。また,蓮肉後方に溝を切り,光背支持用とみられる鉄帯を打ち付ける。
左肘以下,右手首以下,天衣垂下部,左天衣遊離部,金銅製の装身具,表面黒色の彩色,顔貌の彩色,持物,光背は後補。耳輪後方から垂れる垂髪は亡失。裙裾背面に小欠損があり,像底には虫喰いによる欠損がある。

像高 112.6cm

1躯

京都市下京区中堂寺西寺町1番地の2

京都市指定
指定年月日:20130401

勝光寺

有形文化財(美術工芸品)

背面墨書に「明治九年九月合併」とあるのは,明治9年(1876)8月1日付で,葛野郡下山田村の真如寺を同郡中堂寺村の勝光寺に合併することを上申し,同8月14日付で認可されたこと(『京都府行政文書 上申指令本紙届』)を踏まえている。勝光寺に合併された真如寺は,『山城名跡巡行志』(宝暦4年〈1754〉跋)によれば,貞観4年(862)に藤原良縄(814~868)が文徳天皇の菩提を弔うために建立した天台寺院で,本尊聖観音は今に伝わり,妙伝寺12世の日通が万治年中(1658~61)に法華宗の寺として再興したとされる。日通は,本像背面に名号を記した日通であり,勝光寺に残る墓碑によれば,同寺中興開基で,延宝7年(1679)に示寂したことが知られる。真如寺の創建は,『三代実録』巻六,貞観4年(862)2月16日条に,藤原良縄が文徳天皇追善のために造仏と写経を行い,自らの別荘を寺として,真如院の名を賜ったとあり,本像は,貞観4年創建の真如寺の旧像であったと想定される。

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