御書状 毘門宛 「昨晩約束」
おんしょじょう びもんあて さくばんやくそく
概要
兄後光明天皇が崩御した時、弟識仁親王(霊元天皇)までの繋ぎとして、承応三年(一六五四)に即位。寛文三年(一六六三)十歳に成長した識仁親王に譲位。政治に深く関与せず、もっぱら学問、文芸、文化を大切に育まれた。
「昨夜約束の物をつかわしたが、必ず一度に多く用いないで用心肝要」とあり、追而書に更に「今度の菓子多くすごしてたゝり候ば云々、少しずつ御賞翫云々」とあるから、贈った菓子の食べ過ぎに関しての事かと思われる。
宛先の〝毘門〟は後西天皇の皇子、毘沙門堂門主公弁法親王の事。親子の情が深く感ぜられる。久遠寿院は親王の師大僧正公海で「筒のつくろい」とは茶湯に堪能であられた天皇の勅作竹筒花入と思われる。(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)