西洋王侯図
せいようおうこうず
概要
初代玄々堂・松本保居による銅版画の中でも最も技巧が凝らされた1枚で、天保年間(1830〜44)の作と推定されます。水彩画と見間違えるような濃淡表現 —アクアチントが、この人物の顔や手、衣服の部分に見られます。ただし、この技法は、江戸時代のエッチング技術の原典である舶来書籍『ショメール』などに詳細な記載がなく、松本保居がどのように習得したか、謎となってます。
なお、最近の研究で、本図の図像の典拠が明らかになりました。イギリスの宮廷画家ゴッドフリー・ネラーが1704年頃に描いたステュアート朝の王族肖像画を起源として、その像主はアン女王の夫・ジョージ・オブ・デンマークです。その上半身部分がメゾチントとして再描写され、おそらく漆製プラークの注文生産のために日本に送られたものを、松本保居が入手し、天保年間(1830-44)に銅版画として描き起こしたのでしょう。
【江戸の絵画】