初代玄々堂像
しょだいげんげんどうぞう
概要
初代玄々堂・松本保居(1786-1867)は、天保年間(1830-44)を中心に京都で銅版画を手がけ、幕末の上方銅版画は発展の基礎を作った人物です。その息子・松田緑山は明治に東京へ移転し、その営業所である日本橋呉服町の玄々堂は、単なる印刷工房としてだけではなく、初期の洋画家たちが集うサロンとしても知られていました。玄々堂に就職した平木政次の回想によると、本図はその「床の間の次」に掲げられていました。
【神戸と近代美術】
しょだいげんげんどうぞう
初代玄々堂・松本保居(1786-1867)は、天保年間(1830-44)を中心に京都で銅版画を手がけ、幕末の上方銅版画は発展の基礎を作った人物です。その息子・松田緑山は明治に東京へ移転し、その営業所である日本橋呉服町の玄々堂は、単なる印刷工房としてだけではなく、初期の洋画家たちが集うサロンとしても知られていました。玄々堂に就職した平木政次の回想によると、本図はその「床の間の次」に掲げられていました。
【神戸と近代美術】
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