神馬記念盃
しんめきねんはい
概要
吉野文山作の神馬記念盃である。
資料は全体に飴釉がかけられ、側面に茶色い鞍(背を結び目とすれば腹掛)を付けた白馬が描かれている。また、印「文山」が捺され、篆書体「悦」の文字の陰刻も認められる。
文山(1853~1937)は、高岡市片原町の自宅で楽窯(文山窯)築窯し、大正初年頃から茶器・酒器・香炉・香合などを焼成した(注1)。
文山窯は、大正3年(1914)頃に創窯され、昭和3年(1928)頃に廃窯となったとされることから、その期間内に作製された作品だと思われる(注2)。
現在のところは直接の関係は不明だが、文山(本名・新平。本業は薬剤師)が昭和4年(1929)に喜寿を迎えた記念に、文山の子供ら7名が、射水神社鳥居左の土塁上に、銅像「神馬」(米治一原型。供出され台座のみ現存)を奉献した。本資料がこの神馬像奉献記念品であるとすれば、本資料は昭和4年、もしくは5年のものである可能性がある。
付属品の共箱には、蓋に「神馬/記念盃」と墨書されている。箱身内底に「文山」の朱印が捺されている。また、資料を包むためのウコン布も付属している。
資料状態は、良好である。
当館には、文山作の「月に梅図楽盃」が収蔵されている。
〔注〕
1.定塚武敏『富山文庫2 越中の焼きもの』巧玄出版、1974年、p201、尾山京三『富山県の陶磁器思考(1)「藩政年代~昭和終戦年代」』シンクハウス、2004年、p126
2.尾山京三『富山県の陶磁器思考(1)「藩政年代~昭和終戦年代」』シンクハウス、2004年、p76