金銅製鍍金経筒
こんどうせいきょうづつ
概要
金銅製鍍金経筒
こんどうせいきょうづつ
平安時代末期/12世紀
青銅鍍金
総高23.8㎝、現高25.4㎝、筒径6.8㎝、蓋高3.8㎝、蓋笠径8.5㎝、蓋鈕高1.8㎝、蓋鈕径2.4㎝、現底径9.8㎝
1点
来歴:1982神戸市立博物館
参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・森田稔「「石峯寺経塚」遺物の再検討」(『神戸市立博物館研究紀要』8 1991)
石峯寺は神戸市北区淡河町神影所在する真言宗高野山派の寺院で、山号を岩嶺山(がんれいさん)と言います。寺に伝わる縁起では白雉2(651)年に法道仙人という伝説上の人物が開基したと伝えます。
この地は播磨国の東端に位置し、播磨各地と京都などの畿内を結ぶ湯山街道の近辺に立地する。平安時代後期頃から修験道の聖地として、栄え始めたと推定されます。鎌倉・室町時代前期には、地元の豪族である淡河氏などの援助を受けて、寺域、寺宝の整備を行ったと伝えられます。
当館の所蔵する石峯寺境内出土品は、銅板製鍍金経筒、法華経の残塊、陶製五輪塔、丹波焼瓜蝶鳥刻文壺などがあります。これらは石峯寺境内の2箇所から出土したといわれており、平安時代末~鎌倉時代とやや時代幅があります。
銅板製鍍金経筒は、薄い銅板を丸めて5本の鋲で接合し、円筒に成形しています。蓋は傘蓋式と呼ばれ、表面には蓮華文が刻まれています。経筒の表面全体に鍍金が施されており、令和2年度に実施した保存修復作業によって、製作当時の黄金の輝きがよみがえりました。底の部分は腐食して欠失しており、木製の底板は後補のものです。
【中世の神戸】