ハイステル像
はいすてるぞう
概要
墓所法源寺の碑によると、寒巌(かんがん 1767〜1801)の父は神官の馬道良(ば どうりょう)。江戸麻布(あざぶ)に生まれ、諱を孟煕(もうき)、字を文奎(ぶんけい)といいます。
学問に精敏で、絵事に巧妙であり、父が命を受けて天文台の両天儀の修繕をした時に補佐をしました。また、西洋人の館舎に出入りし、その国の学問と書画に優れたため、フランドルの画家ファン・ダイクにちなみ「樊泥亀(はんでいき)Door van Dijk」の名を用いたといいます。
漢画をよくし、花鳥画や洋風画にも佳作をのこします。『紅毛雑話』にはヨンストン『動物図譜』から「鰐之図」と「獅子之図」を描きます。田能村竹田(たのむらちくでん)は著書で、35歳という若さで亡くなった寒巌の才能を惜しんでいます。
【江戸の絵画】【江戸時代の洋学】