賈島詩
かとうし
概要
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、中国から禅宗(ぜんしゅう)が渡来し、多くの僧が日本にきました。また、それと同時に多くの日本人の僧が、法を学ぶために中国に渡りました。彼らは、ただ禅の教えを学ぶだけでなく、文学や絵画など、当時の中国の先進的な文化も熱心に学び、日本に伝えました。当時の禅僧たちが、詩文や絵画などに、多くの優れた作品を残しているのはそのためです。
この作品を書いた鉄舟徳済(てっしゅうとくさい)も、そんな留学僧のひとりです。元の末期に留学し、高僧に学び、帰国後は京都五山のひとつ、臨済宗(りんざいしゅう)の万寿寺(まんじゅじ)の住職を務めました。書と水墨をよくし、特に蘭の花の名手として知られていました。この書は、「早秋の天竺(てんじく)・霊隠寺(れいいんじ)に寄せて」と題する唐の詩人賈島(かとう)の七言律詩を書いたものです。中国の詩ですが、書風には穏やかな和様(わよう)の雰囲気が伺えます。