ランタンボール城を出て戦いに向かうハンミーラ
ランタンボールじょうをでてたたかいにむかうハンミーラ
概要
インドでは、インド神話や、シヴァ神、ヴィシュヌ神などのヒンドゥー教の神々、王の肖像や歴史的なエピソード、男女の恋愛などさまざまなテーマを緻密なタッチと鮮やかな色彩で描いた、細密画とよばれる絵画のジャンルが発達しました。多民族国家であるインドでは、細密画の表現も地域によってさまざまで、それがまた魅力であるともいえます。
この絵に描かれたランタンボール城は、北インドにあるラージャスターン州の州都ジャイプルの南東約160kmに位置する山城(やまじろ)です。現在は世界遺産「ラージャスターンの丘陵城塞群(きゅうりょうじょうさいぐん)」の構成資産の一つとして登録されています。
13世紀末から14世紀初めにかけて、チャウハーン朝の王であったハンミーラがランタンボールを中心に王国を統治していました。当時、インドは大小さまざまな国に分裂しており、互いに抗争を繰り広げていたのです。
13世紀末にチャウハーン朝が隣国のハルジー朝の反乱者を保護する事件が起こると、やがてそれは両国間の戦争へと発展していきます。戦局は最後、ハンミーラがランタンボール城へ籠城したのに対し、ハルジー朝は兵糧攻(ひょうろぜ)めで対抗します。結局、ハンミーラは突撃を敢行(かんこう)した末、戦死してしまいました。
その後、インドでは、ランタンボール城の戦いにおけるハンミーラの勇姿がさまざまな形で語り継がれていきました。