智・感・情のうち感
概要
明治30(1897)年、第2回白馬会展に《智・感・情》の題で出品した三部作。のち、三画面とも加筆され、明治33年パリ万博に《裸婦習作》として出品され、日本の洋画に与えられた賞としては最高の銀賞を受けた。日本人をモデルとした初めての油彩画による裸婦であり、明治28年、第4回内国勧業博覧会の出品作《朝妝》をきっかけに起きた裸体画非難の声が再燃したなかで制作、発表された点、また、その寓意的画題と象徴的ポーズからも明らかなように、黒田が日本に根づかせようとしたいわゆる構想画(理想画)、それも極めて壁画的要素が強い点など、この作品が当時の洋画壇に与えた衝撃は少なくない。また、黒田の画暦においても、《昔語り》が戦災で焼失した現在、完成された構想画としては現存する唯一のものである。黒田自身の言葉によれば「当初画家の三派なる理想、印象、写実の意を表わさん」と着想したもので「理想を智、印象を感、写実を情に改めた」のだという。しかも、ここでの「感」はSensやSensationではなくImpressionを意味していたともいわれる。いずれにせよ、画題、ポーズを含めて、三幅対という画面形式、装飾的な金地背景など、西洋・日本の両文化を踏まえ、明治洋画に新たな方向を示そうとする意欲作であった。