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原爆ドーム

げんばくどーむ

主情報

記載物件名
原爆ドーム

解説

詳細解説

 ドームは、第2次世界大戦末期に、広島市に投下された原子爆弾によって破壊された広島県産業奨励館の残骸を、当時の姿のまま今日に伝える資産である。従って、人類が初めて被った核兵器の惨禍の跡を留める資産であり、人類が忘れることのできない歴史的記念的意義を有する資産として、世界遺産条約第1条の規定する記念工作物に該当する。  1945年8月6日、テニアン島を発進した米軍 B29爆撃機3機が広島市上空に侵入し、午前8時15分に原子爆弾を投下した。爆弾は上空約 580メートルで爆発した。爆風と猛火により、爆心地から半径約2キロメートル以内の建物は木造も鉄筋コンクリートもすべて全壊・全焼し、半径約2.8 キロメートル以内の建物が全壊、半径約4キロメートル以内の建物が半壊した。このことは、当時の広島市のほとんど全域が半壊以上の損害を受けたことを意味する。  また、爆風と熱線と放射線によって、約14万人が死亡し(1945年12月末まで、広島市調査)、さらに多数の人々が負傷し、戦後50年を経過した今日においてなお、多くの人々(胎内被爆者を含む。)が、放射線の後遺症に苦しむという、悲惨な結果をもたらしている。  広島県産業奨励館は、広島市内の元安川東岸に建つ、一部鉄骨を用いたレンガ造りの3階建、建築面積1,023 平方メートル、高さ25メートルの建物であった。石材とモルタルで外装が施され、正面中央の階段部分は5階建で、その上に銅板楕円形の円蓋が載せられていた。爆心地の西北約150メートルの至近距離で被爆し、爆風と熱線によって全壊・全焼した。建物 の屋根や床はすべて破壊され、壁は建物の大部分において1階の上端以上が全て倒壊したが、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、建物の中心部分は倒壊を免れ、本来の中央部分が5階建で、頂上に残った鉄骨により円蓋をもつ建物であったことがわかる程度の残骸となった。建物の南側に設けられていた洋式庭園の噴水も、破壊された遺構として残っている。当時、この建物の中にいた約30名の職員は全員即死した。  第2次世界大戦後、ドームは2回の保存工事を経て、被爆当時の惨禍の姿をそのまま今日に伝えている。ドームを基軸とする平和記念公園には、原爆死没者慰霊碑(正式名称:平和都市記念碑)をはじめ、原爆供養塔、原爆の子の像等の犠牲者を悼む多くの慰霊碑が設けられており、また広島平和記念資料館において、多数の遺品等が展示されている。資料館への来訪者は年間約140万人、うち約45万人が平和学習のために訪れる修学旅行生、約7万人が外国人である。ドームの見学者はこれをさらに上回る。  ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝えるものであり、時代を超えて核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑である。