後瀬山城跡 のちせやまじょうあと

城跡 / 中部 

福井県
小浜市伏原
指定年月日:19970523
管理団体名:小浜市(平18・3・10)
史跡名勝天然記念物

 小浜は中世以降日本海海運の拠点として、また中国大陸との交易の港として栄えたが、その小浜湊の背後に聳える後瀬山(標高146メートル)に、大永2年(1522)若狭守護武田元光が築いた城が後瀬山城である。武田氏は元光以降信豊、義統、元明と続くが、この間一族内紛が続くなど、その基盤は〓(*1)弱で、朝倉氏の攻撃を受ける等のこともあった。元明の時天正10年(1582)本能時の変後に滅亡する。
 こののち後瀬山城は丹羽長秀が城主となり、この年10月には柴田勝家に対する備えとして城構えが強化されている。以後天正15年(1587)には浅野長吉(のち長政)、文禄2年(1592)には木下勝俊、と豊臣秀吉の近親者が城主となったのち、慶長5年(1600)に入城した高極高次が新たに小浜城を築城したことにともない、廃城となった。
 後瀬山は万葉集の歌枕ともなった名山であるが、城は山頂に御殿と通称される主郭を設け、それより北北東と北西の2方向に延びる尾根上に、連続してくるわを配置する構造となっている。この2つの尾根にはさまれる谷の下方の平地には、居館が設けられている。「若狭国伝記」(文政6年〈1823〉竹村軍治筆写)中、永禄11年(1568)8月13日の朝倉軍による後瀬山攻撃の記述中に「麓ノ城」と見えるものが、これに該当しよう。また山の南方、西方、北西方にはいくつかのたてぼりを設けており、特に西方のそれは20本近くのたてぼりが連続する、いわゆる「畝形たてぼり」の典型である。
 通称御殿には野面積の石垣が残るが、その南西、一段下がった部分にもくるわがあり、昭和62年から63…

作品所在地の地図

関連リンク

後瀬山城跡チェックした作品をもとに関連する作品を探す

興国寺城跡
黒井城跡
山名氏城跡<BR/> 此隅山城跡<BR/> 有子山城跡
堅志田城跡
鎌刃城跡
ページトップへ