八木城跡 やぎじょうあと

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城跡 / 近畿 

兵庫県
養父市八鹿町八木
指定年月日:19970306
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

八木城は、中世但馬きっての豪族八木氏の城跡で山陰道に面した八鹿町八木の集落の後方の山上にある。
 八木の地は古来より但馬と因幡を結ぶ交通の要衝の地で、『延喜式』には「養耆」駅が記されている。この一帯は中世には日下部を本姓とする八木一族の支配するところとなっていた。八木庄の地は日下部姓八木氏の、また隣接する朝倉庄の地は日下部姓朝倉氏の苗字の地であり、「但馬国大田文」によればこの八木一族の有する荘園所職の面積総計は、守護の有する荘園の面積総計よりも、はるかに多かった。この八木一族は先祖と伝える表米親王(表米王、表米命、表米宿祢とも)を尊崇し、彼を祭神とする赤渕神社を但馬国内各地に祀っていた。なお戦国大名朝倉氏の出身はこの日下部姓八木氏(朝倉氏)であり、越前一乗谷にも赤渕神社が祀られている。
 この鎌倉時代の八木氏の館は八木城の麓の小字殿屋敷の地と考えられ、やはり北方に赤渕神社が祀られている。平成元年に行われた発掘調査の結果、堀・掘立柱建物が検出され、遺物も12世紀後半から14世紀後半にかけての中国陶磁多数のほか和鏡、石鍋などが出土している。南北朝期になると、山陰道を通じて山名氏が因幡から但馬に進出してくるが、八木氏は山名氏に一早く従っている。室町期には垣屋氏、大田垣氏、田結庄氏とならび山名四天王と称された。応仁・文明期のころの人八木宗頼とその子遠秀は詩人・歌人としても著名であったという(「黙雲藁」「禿尾長柄箒」)。彼らは但馬守を称したといい、楞厳寺文書や日光院文書には「八木但馬守」の名がみえるが、但馬の盟主を自負したものか。しかし天正8年(15…

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