若桜鬼ヶ城跡
わかさおにがじょうあと
概要
若桜鬼ヶ城跡は鳥取県の東南、八頭郡若桜町の宿背後にそびえる鶴尾山(標高452m)に位置する16世紀から17世紀初頭にかけての城跡である。若桜は播磨と但馬への道の分岐点に位置する。駿河国安倍郡矢部村を本貫とする矢部氏が鎌倉時代に入部し、15世紀の後半の史料には「矢部館若狭(桜)」とみえる。鬼ヶ城は16世紀後半の史料に散見され(天正3年〈1575〉初見)、矢部氏が拠っていたことが確認される。鳥取城落城後の天正9年(1581)には木下重堅(荒木平太夫)が入部し、また、関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600)には山崎家盛が城主となった。出土遺物も16世紀から17世紀初頭の年代を示し、中世から近世への移行期を中心とする城郭であることが判明している。とくに主郭部は織豊期の山上城郭として、その規模・構造の複雑さにおいて注目される。また、廃城となった際に石垣が壊された状態がそのまま遺存している姿は、一国一城令による破城の実例として価値がある。山陰における国人領主と戦国大名の動向及び近世初期に至る城郭の変遷を知るうえで重要である。