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田中城跡

たなかじょうあと

概要

田中城跡

たなかじょうあと

城跡 / 九州 / 熊本県

熊本県

玉名郡三加和町

指定年月日:20020319
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 田中城跡は,熊本県の北端に所在する三加和町の中央やや西側に位置し,標高104mの高さにある和仁氏の城跡である。町の西側を流れる和仁川と並行した舌状台地が南北に延びており,この台地の根元を断ち切り,独立した丘陵を造り出して城としている。
和仁氏は,菊池氏の家臣であったと言われているが,その出自については定かでない。和仁氏は,戦国期の中で多くの戦いを経ながら在地領主として生き抜いてきた。天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州平定の後,肥後国は佐々成政に与えられた。佐々成政は,検地を強引に実施し,国衆の反発を買い,一揆が勃発した。これが肥後国衆一揆といわれるものであり,和仁氏のこの田中城は,一揆最後の拠点として籠城して戦った城跡である。山口県立文書館蔵の毛利家文庫にある「辺春・和仁仕寄陣取図」が,この時の攻防を表したものである。成政を救援し一揆を鎮圧するために秀吉によって動員された小早川・安国寺・立花・鍋島などの諸将の布陣した様子と城主和仁親実・親範・親宗の三兄弟と姉婿の坂本城主辺春親行の兵約900人の籠城の様子が描かれており,布陣の距離や秀吉軍の戦法がよくわかる。戦いは,天正15年12月5日に落城したとされ,成政も一揆の責任をとらされ自刃している。
城跡は,昭和61年から発掘調査が実施され,その結果40m×50mを測る主郭や東南北の三方向の曲輪が確認され,そこから多数の掘立柱建物をはじめ,大規模なV字堀や連棟式兵舎跡と思われる建物跡,物見櫓跡,柵列跡,井戸跡,城門跡などが検出されている。このことにより城跡の遺構の保存状態が非常によいことが確認され,かつ仕寄陣取図の建物跡・柵列・櫓跡などの状況と調査結果が一致することが確認された。また,出土品としては,多数の青磁・白磁・染付などの陶磁器類,すり鉢・火舎・土師器類等の生活用具や鎧の小札・兜の前立・刀子等の武具,鉄砲玉,炭化米等があり,時期的には16世紀後半に集中しており,田中城跡が歴史に登場する時期に一致する。
このように確認されている中で我が国最古とされる仕寄陣取図が残っており,発掘調査により絵図に描かれた遺構の保存状態が非常によいものであることが確認されていることから,戦国期の歴史を語る上で非常に重要な城跡であり,史跡として指定し,保護しようとするものである。

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