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宇土城跡

うどじょうあと

概要

宇土城跡

うどじょうあと

城跡 / 九州 / 熊本県

熊本県

宇土市神馬町

指定年月日:19790312
管理団体名:宇土市(昭55・3・24)

史跡名勝天然記念物

S52-06-023[[宇土城跡]うどじょうあと].txt: 宇土は、熊本県海岸部中央に突出する宇土半島の基部に位置し、古来肥後国の交通路の要衝になっていた。宇土城は、現在の市街地西南方にある独立丘陵に営まれた中世山城で、はじめ宇土庄地頭の宇土氏が居城とし、後に[[名和]なわ]氏が城主となった。
 肥後名和氏は、南北朝時代の南朝方の武将[[名和長年]なわながとし]の後裔である。長年死後の正平年間に、孫の顕興が一族を挙げて八代庄に移り、以後、肥後南部において、相良氏ら有力豪族と拮抗していたが、顕忠の代の文亀4年(1504)に、八代の古麓城を相良氏のため陥され、益城郡木原城に移り、ついで宇土城に入った。以後天正15年(1587)、豊臣秀吉によるいわゆる「島津征伐」に際し、島津方であった名和氏が退転するまで、宇土城は同氏の居城であった。
 城跡のある丘陵(西岡台)は、「三ノ城」及び「千畳敷」と呼ばれる2つの峰から成り、それぞれ頂部に平坦地があって、城の主要郭が置かれたものと思われる。事実、発掘調査によっても、中世の掘立柱建物跡が確認され、また、15〜6世紀の中国製陶磁器が出土している。
 なお、天正16年(1588)小西行長が築いた宇土城(本史跡の東方平坦地に遺跡がある)の跡地は、本史跡に含まれない。

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キーワード

/ 城跡 / / 肥後

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