金山要害絵図〔寛保二年〕(中嶋家文書)
かねやまようがいえず
概要
金山要害は、江戸時代には城に準じる「要害」の一つとして位置付けられた。仙台藩の中で「一族」の格式をもち二百貫文(二千石)の禄を賜った中嶋氏の居所になったところ。現宮城県丸森町金山地区の独立した丘陵の北部を利用して築かれた。頂上部の本丸を中心に数段の曲輪が配され、各所に門や馬屋・兵具蔵などの付属施設がつくられた。絵図では要所に築かれた当時の建物や塀・石垣などのようすが窺える。寛保二(1742)年六月のもの。
かねやまようがいえず
金山要害は、江戸時代には城に準じる「要害」の一つとして位置付けられた。仙台藩の中で「一族」の格式をもち二百貫文(二千石)の禄を賜った中嶋氏の居所になったところ。現宮城県丸森町金山地区の独立した丘陵の北部を利用して築かれた。頂上部の本丸を中心に数段の曲輪が配され、各所に門や馬屋・兵具蔵などの付属施設がつくられた。絵図では要所に築かれた当時の建物や塀・石垣などのようすが窺える。寛保二(1742)年六月のもの。
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