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女〈荻原守衛作/石膏原型〉

概要

女〈荻原守衛作/石膏原型〉

彫刻 / 明治 / 大正 / 昭和以降 / 関東 / 東京都

荻原守衛

東京都

近代/1910

1箇

東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9

重文指定年月日:19670615
国宝指定年月日:
登録年月日:

独立行政法人国立文化財機構

国宝・重要文化財(美術品)

 ここにあげる諸作は、明治維新以後、西洋文化の洗礼を受け、伝統との相剋をのりこえて多様な展開をとげた近代美術の代表的遺産である。
 日本画は欧化主義の新状況の下で混迷を続けるが、やがて岡倉天心という指導者を得、春草【しゆんそう】、観山【かんざん】、大観【たいかん】らによって新日本画創造の努力が進められ、新たな進路が決定される。下村観山(一八七三-一九三〇)の「弱法師」(大正四年、第二回院展)は古典の探索より生み出された新技法による追及を完成させた作品であり、横山大観(一八六八-一九二三)の「生々流転」(大正十二年、第十回院展)は彼の新水墨画様式形成の努力が雄大な構想のうちに結実した畢生【ひつせい】の大作である。
 一方、欧風美術の先頭に立つ西洋画は、明治初年に高橋由一【ゆういち】(一八二八-一八九四)によってすぐれた成果があげられ、「鮭」(明治八年から十二年の間の作)の自然科学的観察と迫真的な描写には、近代の出発点ともいうべき新たな造形の眼の充実が認められる。こうして西洋画は、社会的関心も高まり、明治九年工部美術学校の開設をみるなど順調な出発をとげたかにみえたが、間もなく国粋主義の反動があり、一時沈滞を余儀なくされる。
 これに抗してその発展を軌道に乗せたのがフォンタネージの薫育を受けた浅井忠(一八五六-一九〇七)で、「収穫」(明治二十三年、明治美術会第二回展)は光と空間の表現に進展をみせた彼中期の傑作であり、″脂派【やには】″と呼ばれる黄褐色を主調とした作風は明治中期の支配的画風となった。その後西洋画は黒田清輝【せいき】の外光派の紹介によって新たな展開を遂げるが、青木繁(一八八二-一九一一)はその展開の中から登場し、独自の浪漫的世界を開拓した鬼才で、「海の幸」(明治三十七年、白馬会第九回展)の大胆な構想と力強い表現技法には、彼のはげしい感情の高鳴りが感じられ、当時の浪漫的風潮をこれほど純粋かつ雄々しく表現した作品は他に求めがたい。
 彫刻は洋画に比べ近代化の速度はやや遅いが、ロダン彫刻のよき後継者であった荻原守衛【おぎわらもりえ】(一八七九-一九一〇)によって近代彫刻の真髓が示され新局面を迎えた。「女」は彼の最後の作品で、肉体の量感と動勢の確実な把握の中に堂々とした彫塑性と豊かな浪漫的感情が示されている。
 これらの作品はわが国近代美術の流れの中で、すでに指定されている芳崖【ほうがい】、雅邦【がほう】、春草の諸作とともにつとに古典的評価を得ている作品である。

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キーワード

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