深鉢形土器/岩手県盛岡市繋字館市出土
ふかばちがたどき
概要
本遺品の一括は、昭和二十六年、繋小学校(当時)の校庭整地工事に際し、不時発見されたものである。出土地は盛岡市街から南西へ約一三キロ、雫石川右岸の段丘上で、付近には萪内【しだない】遺跡をはじめとする、縄文時代の大規模な遺跡が群在する。遺物発見の報を受けて、当時緊急発堀調査が行われた結果、これら七箇体の土器は、ほぼ一括して、底部を上に向けたいわゆる逆位の状態で埋置されていたことが判明している。
これらの土器は、いずれも口縁部が軽く内湾し、その最大径が胴上半部にある深鉢形で、総高四〇~五〇センチ前後の法量的にもまとまった一群である。しかし渦巻文を主とした文様で胴部全面を飾る1~3が、いずれも三単位の波状口縁を呈するのに対し、4~7は縄文・撚糸文のみで全面が飾られる平縁の土器であり、これらはいわゆる精製、粗製の深鉢形土器として区別される。また1・2・4・5の四箇は、口縁部付近に僅かな欠失のある4の他、口縁部から底部までの全周が、きわめて良く遺存しているとともに、底部には外側からの焼成後穿孔がある。特にこの中でも、均斉のとれた器形、雄大で整った渦巻文を描く1・2は、遺存状態も良く注目される。
これらの出土状態に示されるような埋甕習裕は、縄文時代中期の東日本を中心に、多数の類例が知られ、その埋置方法の地域差や、埋置される土器に特定の器形、文様が描かれる傾向がある。その中にあって本遺品の一括は、東北地方の縄文時代中期後半の埋甕遺構出土土器の代表例であり、その学術的価値は高い。