沖ノ原遺跡
おきのはらいせき
概要
信濃川が信越国境を越えて新潟県に入ってから津南町を貫流して中津川に合流するまでの右岸には、7段にわたる河岸段丘が発達しており、その最上位面に本遺跡が所在する。この段丘の北は信濃川、東は中津川の急崖によって画され、南北約2キロに亘る広い平坦面を形成するが、この平坦面を侵食する小谷が幾筋か走り、その谷頭は自然湧水点となっている。遺跡はこうした自然湧水点に臨んで営まれた繩文時代中期の集落跡である。
昭和47・48年、圃場整備事業計画実施に先立つ部分的な試掘調査によって竪穴住居跡49、大形長方形家屋跡3、敷石住居跡1が確認され、少なくとも全体で住居跡100以上の存在が予想されるに至った。またそれらの住居跡は、径約130メートルの環状に展開し、中央部分には特別な施設のない広場をもつ、いわゆる典型的な環状集落形態を示している。なお環状の東側と西側に長方形を呈するひとまわり大形の家屋跡3が発見されており、そのうち一家屋の内部からは炭化した〓(*1)き身のクリ及び径2〜4センチ、厚さ1センチ未満の〓(*2)平な団子状の炭化物を大量に出土して注目された。このような大形長方形家屋跡は特異な形態に加えて、上記のような特別な出土品を有することなどから、集落内の共同作業場などという考えも示されており、当時の集落形態及び社会組織を解明する上で極めて重要なものである。
3次にわたる発掘調査において、発掘された住居跡は3、大形長方形家屋跡1、敷石住居跡1であるが、竪穴住居跡に設けられた炉には扇状に小石を並べあるいは敷きつめた見事なつくりの形態のものが含まれており注目される。
出土遺物には、大量の土器のほか、石鏃、石皿、磨石、石棒などの石器類及び土偶、三角形土製品など種類も多い。なお、新潟県地方の繩文時代中期中葉に、大形の口縁部突起などに特色をもつ火炎土器が信濃川流域を中心に発達するが、本遺跡はその分布圏の最も上流域に位置するものである。