大和井
やまとがぁ
概要
隆起珊瑚礁から成る宮古島では、人々は古くから海岸沿いの洞井や泉を中心として集落を形成し、暮らしをたててきた。各地に散在する洞井は、上がり下がりの通路に石段を設けて自然のまま利用しているのが普通である。
今回指定しようとする地域には、(1)ぶとら井と呼ばれるごく普通の洞井と、(2)大和井と呼ばれる見事な石造りの洞井とがある。
ぶとら井は、指定予定地域の北西端にある。指定予定地入口を北に石段を下りた所にある洞井で、2か所に分かれている。
大和井はぶとら井の東約50メートルの所にある。折れ曲がった石段を下りると、大小の切石を高さ6メートル余にわたって円形に積み上げ、1面に石を敷きつめた広場の奥に井泉を穿っている。『雍正旧記』の「1、不とる川但洞川堀年数不相知 康〓(*1)72申年修補 1、同所井 康〓(*1)59庚子年堀」という記事から考え、大和井は1720年に掘られたものと考えられる。「大和井」という名称の初出は、明治15年(1882)の『上杉県令先島巡回日誌』であるが、伝承によれば、この井泉は、首里王府派遣の在番役員や頭などごく一部の役人のみが使用したものだといい、石段の中程に残る閂跡や、かつて井泉に至るまで2か所に門があったという言い伝えも、この井泉が特殊なものであったことを物語っている。
両泉は、南島の人々の暮らしと、石工技術の見事さを示す石造遺跡として類例のないもので、これを史跡に指定して永く保存を図るものである。