絹本著色日吉山王宮曼荼羅図
けんぽんちゃくしょくひえさんのうみやまんだらず
概要
日吉山王宮曼荼羅図は、滋賀県・日吉山王社の山王権現に対する礼拝画である。本図は、牛尾山の山頂から山麓に至る広大な日吉社の風景を土坡、樹木、霞などで表し、その中に社殿一〇宇および二層の楼門二基を配する。社殿は山王上七社と、中七社のうち三社の社殿のみを正面観で布置するという特異な図様で知られる宮曼荼羅である。
社殿群の配置は、実際の位置関係はもとより、山宮・里宮の関係も考慮されており、また社格に応じて社殿の大きさに変化をつけている。さらに各社殿は屋根正面に向拝がつく日吉造の構造を正確に描き、扉内には大型の御正体が、軒廻りには小型の御正体が多数懸かるなど、本図は中世日吉社の社殿状況を伝える現存最古の資料としての価値を有している。
日吉山王曼荼羅には、本地仏曼荼羅、垂迹神曼荼羅、宮曼荼羅など各種の遺品がある。そのうち宮曼荼羅では、奈良国立博物館本のように俯瞰構図で境内全域を克明に描く作品がある一方、東京・霊雲寺蔵日吉山王曼荼羅図(重文)、滋賀・百済寺蔵日吉山王神像(重文)のように、社殿等の建築モチーフを捨象して、境内風景の中に尊像を点在させる作品が存在する。本図の図様はその境界に位置するものであり、森厳な社頭に社殿のみを配して仏神の存在と神域の霊威を表出しようとした独自な構想は、風景が主題性を担う垂迹画の特質をよく示すものとして評価される。
制作年代については、強い屈曲を見せる樹木の形態や、樹幹に大きな洞を描く表現は、これと類似する例が正安元年の国宝一遍上人絵伝(京都・歓喜光寺、神奈川・清浄光寺)などに見出される。また、丘陵や懸崖を複雑に組み合わせて高峻な山容を表し、さらに所々に金泥を掃いて荘厳する手法は、鎌倉時代後期の兵庫・小童寺蔵阿弥陀二十五菩薩来迎図(重文)、奈良・瀧上寺蔵九品来迎図(重文)などに近似した例が見られる。一方、御正体の尊像表現には、小さな部分ではあるがやや固さが認められ、こうした諸点から、本図の制作期は鎌倉時代一四世紀におくことができよう。
この時期は、山王神道の代表的理論書である『山家要略記』が編纂された時期にあたる。本図の独自な図様は、そうした山王信仰における教説の深化の所産と考えられ、中世垂迹画の多様性をうかがわせる貴重な遺品である。