津和野城跡
つわのじょうあと
概要
一ニ三本松城トス 永仁三年吉見頼行此ノ地ヲ相シテ縄張ヲ爲シ其ノ子頼直ニ至リ竣功セシト傳フ 以後子孫相継ギ之ニ居リ後西面大手ヲ改メテ東方津和野方面ヲ大手トシタリシガ関ヶ原■ノ結果封ヲ没收セラレ慶長六年坂崎成正入城シ北方ニ織部丸ヲ築キテ出丸トナシ城域ヲ擴張セリ 元和二年成正殺サレシニ依リ翌年亀井政矩封ヲ受ケテ城ニ入リ子孫相継ギ明治維新ニ至リテ廃城トナレリ
城構ハ津和野盆地ノ西ナル山頂ヲ利用シ本丸、二ノ丸、三ノ丸、腰曲輪等ノ石壁ヲ築キタル山城ニシテ東面ノ高キ部分ヲ本丸トシ其ノ中西部ノ稍々低キ部分ニ天守臺阯アリ 南門阯及西門阯ヲ繋グ石壁ハ宏壯ニシテ吉見氏ノ後期ニ至リテ改メタル大手ハ略々東北面ニアリ 東門阯、三段櫓阯、腰曲輪阯ノ石壁ハ階段状ニ蜿々トシテ壯觀ヲ呈セリ 其ノ北ナル稍々低キ三本松平ヲ隔テテ織部丸アリ 東麓ニハ勢榴、館阯、侍屋敷阯等アリ即チ本邦古城ノ一トシテヨク舊規模ノ面影ヲ存シ殊ニ其ノ石壁ノ雄大ニシテ宏壯ナルハ稀ニ見ル所ナリ
S46-01-025津和野城跡.txt: 津和野城跡は、中世吉見氏の居城に発し、坂崎氏によりほぼ完成され、さらに近世亀井氏に継承されているが、指定地は本丸と出丸を中心とする地区に分かれている。そのため、この中間にある3本松平、大井戸、大手道、塩庫跡や城山全体に所在する中世以来の郭跡を追加指定し、保存しようとするものである。