参候祭
さんぞろまつり
概要
この芸能は、祭りの場に登場してくる神々が問答の初めに「参候【さんぞうろう】」と答えることから、このように名づけられたとされており、永禄年中(一五五八-七〇)の記録に「折立牛頭天王八王子【おりたてでずてんのうはちおうじ】田楽祭」とあることから、本来は田楽【でんがく】の芸能であったろうとみられている。
祭り当日の午後、神輿が山の中腹の観音堂から津島神社に渡御【とぎよ】し、休憩夕食後、湯釜を据えた神社前庭にてこれがとり行われ、出現する神々は、拝殿左横の神座に座した祢宜【ねぎ】と問答する。
最初に不動が拝殿から剣と縄を持ってあらわれ釜を三めぐりしてくると神座の祢宜に呼び止められて問答がある。それは神の素性や神があらわれた理由の問答。それが終わると不動は神座から鈴をもらい、右手に剣、左手に鈴を持って釜の前で五方の舞をし、それから鈴を振りながら釜を三度かけ回る。終わって笹を持って湯を献じて退場する(不動の舞)。これに引き続いて七福神のうちの「蛭子【えびす】の舞」「毘沙門の舞」「大黒天の舞」「弁財天の舞」が、手の持ち物が異なるものの、それぞれがほぼ「不動の舞」と同じ所作を行う(蛭子の持ち物が竿、毘沙門天のそれが鉾、大黒天のそれは打出の小槌とヌメクラ棒という男根様のもの、弁財天は扇と鈴)。終わって三人の祢宜が扇の手と剣の手とを舞う(「太平楽」)。それに続いて七福神のうちの布袋・寿老神・福禄寿がともに登場して所作する次第があり、引き続き田楽系の演目(「駒」「殿面」「さい払い面・獅子」)があって一切を終了する。
この芸能は田楽系の諸演目の中に祝福の来訪神芸、七福神舞が後に加わったものとみられ、芸能の変遷の過程を知るうえでの一つの貴重な資料であり、また地域的特色をも示す重要なものである。
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