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由利海岸波除石垣

ゆりかいがんなみよけいしがき

概要

由利海岸波除石垣

ゆりかいがんなみよけいしがき

史跡 / 東北 / 秋田県

秋田県

にかほ市芹田・飛

指定年月日:19970911
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

 由利海岸波除石垣は、秋田県南部に位置する仁賀保町と金浦町の日本海沿岸にある。
 日本海北部の地域においては、海岸部の農地開発が近世を通じて諸藩の重要な農業政策であった。この地域における農地の開発と経営の安定には、海岸の波浪による塩害から農地を守ることが重要な課題であり、このため海岸沿いには長大な防風林や波除石垣がつくられた。芹田・飛の波除石垣も、日本海の激しい波浪から海岸を保全するとともに、波浪や強風による塩害から農地や農作物を守るために築かれたものである。
 18世紀末に大石久敬が著した『地方凡例録』には、「浪除石垣之事」と題した一文がある。これによれば、浪除石垣は波浪による海岸侵食が乱杭などでは防ぎきれないほど激しい地域に築かれた防波風堤あるいは防潮堤であり、表面に大振りな石を積み内部には小割石や砂利などを詰めて構築する方法が通例であった。
 芹田・飛の波除石垣の明確な築造年代は不明であるが、金浦町には「万石堤」の名が残り、本荘藩2万石の手で築かれたものと伝えられている。現在確認できる最も古い史料は天明2年(1782)のもので、飛の石垣に属する蟹坪・石崎・鷲森などの波除石垣の修理のために藩の助成米の支給を求めた文書である。飛の波除石垣については、これ以後、文化元年(1804)の象潟地震による被害箇所の修理にともなう文化7年の文書、嘉永2年(1849)、同6年の修理願の文書がある。芹田の波除石垣についても文化5年、嘉永6年、安政5年の修理願が残っており、近世後期においてこの両波除石垣を維持する努力が継続されたことが理解される。また、19世紀前半の作とみられる「由利南部海岸図」にも、これらの石垣が描かれている。
 現在、芹田の石垣は2区間延長約370メートルが残り、飛の石垣はたびたびの修理願にもあらわれる鷲森・石崎・蟹坪・くずれの4か所が残る。石垣はいずれも自然石を積み上げたもので、表面には径30センチメートルから50センチメートル前後の大振りな石を用い、内部には小割石や砂利を詰めて築かれており、これは『地方凡例録』に記す築造法と一致する。高さは約1.2メートルから3メートル前後の部分が多く、水抜きの水門も保存されている。
 これら由利海岸に残る波除石垣は、近世における海岸部の保全や農地開発の歴史を考えるうえでの類例の少ない貴重な遺跡である。よって史跡に指定し、その保存を図るものである。

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