琴引浜
ことひきはま
概要
琴引浜は京都府の丹後半島北西岸の京丹後市網野町にある。北西方向に日本海に開いた砂浜海岸で,浜の背後には標高50mほどの古砂丘が連なる。琴引浜は,古来鳴砂の浜として知られ、戦国時代の武将で丹後の田辺城主であった細川幽斎や、細川ガラシャが和歌に詠んでいる。また、江戸時代の奇石を記載した『雲根誌』や丹後の地誌『丹哥府誌』などにも記録があるほか、与謝野寛・晶子夫妻もこの地を訪れ和歌を残している。琴引浜は中心部の岩礁が露出する太鼓浜を境として、東部と西部(狭義の琴引浜)の3つに分かれ,海岸線総延長は約1.8kmある。琴引浜の砂粒は,全国の鳴砂の浜と比較しても粒がよく揃った丸みのある形状が特徴である。琴引浜の鳴砂の供給源は、マクロ的には古砂丘から海域に流れ出した砂と掛津川を通じて流れ込んだ砂の両方と考えられる。琴引浜前面の海底の砂を見ると,水深20mより深いところでは、石英以外の岩片や貝殻片とシルト分が少しずつ増加し、砂粒も角張ってくる傾向があるが,浜に近い水深10m以浅の砂は円磨された石英砂よりなり、波浪によりよく洗浄された状態であり,この砂が鳴砂の浜としての琴引浜を支えているものと思われる。こうした鳴砂の浜が,海域や背後の砂丘とともに,良好な状態で維持されてきたことは,地元住民による地道な活動によるところが大きい。鳴砂の浜としてまた砂浜海岸の典型として,さらには海浜の景勝地としても貴重である。