神子元島燈台
みこもとじまとうだい
概要
S43-12-007[[神子元]みこもと]島燈台.txt: 神子元島燈台は、下田港と東京湾に出入する船舶のため、明治3年11月11日(1871.1.1)、英人ブラントン(Richard Henry Brunton)により、竣工点燈された燈台で、現存するわが国最古の官設の洋式石造燈台である。
わが洋式燈台の起源は、幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4国と締結した改税約書第11条の規定をひきついだ明治新政府が、各国公使と協議して、安房野島崎、相模観音崎、剣崎、伊豆神子元島、紀伊潮岬、樫野崎、肥前伊王島、大隅佐多岬の8ヵ所に燈台を設けたことにあるが、このうち、当初の燈台・官舎・倉庫をのこすのは神子元島のみにすぎない。
燈台の位置は下田港の南方5浬、燈塔は石造円形白色で、明治17年、これに2条の黒横線を入れ、燈火は不動白色、第1等燈台である。基礎直径は7メートル、高さは22メートルで、海抜高約30メートルの岩島最頂部に立っている。
他に、吏員退息所、物置、第1・第2倉庫等があり、いずれも石造平屋建の当初の規模をのこしているが、倉庫は現在使用されていない。このほか防波防風用の石垣もある。これらに用いられた巨大な石材は下田エビス崎一帯より切り出されたものといわれ、これを切石として整然と積みかさね、鉄棒で連結し、その部分に鉛を充填して固定する手法は、まことに堅固なものである。目地にはポルトランドセメント、表面には漆喰を塗ったものと思われる。