新堂廃寺跡
附オガンジ池瓦窯跡
お亀石古墳
しんどうはいじあと
つけたりおがんじいけかわらがまあと
おかめいしこふん
概要
新堂廃寺跡は、昭和11年に石田茂作によって紹介された、飛鳥時代前半創建の学 史上著名な古代寺院跡である。遺跡は、大阪平野の南部、羽曳野丘陵裾の、大和川支 流の石川が形成した河岸段丘上に所在する。
遺跡地には古瓦が散布することが大正年間から知られていたが、昭和34年に大阪 府営住宅の建設計画が持ち上がり、大阪大学と大阪府教育委員会が発掘調査を行った。 その結果、創建期の遺構は確認できなかったが、白鳳時代再建の建物4棟を確認し、 南から塔、金堂、講堂が一直線に並び、金堂の西側に基壇建物が建つ伽藍配置である ことが明らかとなった。
その後、平成5年度から府営住宅の建替えに伴う調査、平成9年度からは富田林市 教育委員会が史跡指定を目指した確認調査を行い、飛鳥時代の中門と南面、東面、西 面回廊を検出するとともに、塔基壇下層で飛鳥時代の基壇土を確認し、創建期には四天 王寺式の伽藍配置をとることが明らかとなった。再建後の伽藍については、新たに南 門と宝幢遺構、東方建物、南面、東面、西面築地を検出し、塔・金堂の東西に建物を 配置する特異な伽藍配置をとることが判明した。中心伽藍は、南北約150m、東西 約80mの範囲と推定される。また、寺域の北東では奈良時代から平安時代にかけて の建物群を検出し、これは再建後の寺の経営に関わった集団の居住域と考えられる。
オガンジ池瓦窯跡は、新堂廃寺跡の北西約0.5kmにあるオガンジ池の北東堤部 に所在する。昭和44年に調査を行い、天平年間に瓦を焼成した半地下式無段登窯で あることが判明した。昭和60年には堤の改修に伴って調査を行い、南に更に1基の 半地下式有段登窯を確認した。窯体内から白鳳時代、灰原から飛鳥時代の瓦が出土し、 新堂廃寺創建期からの所要瓦を焼成した瓦窯である。
お亀石古墳はオガンジ池瓦窯跡北の丘陵上に立地する。古くから開口しており、大 正2年には学界に報告されている。主体部は、南北に据えた凝灰岩製家形石棺の南側 面に開口部を設けた横口式石槨という特異な構造で、南方に花崗岩を用いた約5mの 羨道を持つ。天井石は羨道部に1個のみ残る。昭和35年に発掘調査を行い、石棺周 囲に平瓦を敷き詰めていることを確認した。この瓦は新堂廃寺創建に用いたものであ り、古墳の被葬者が寺と密接な関係を有することが想定された。平成14年には墳丘 等の発掘調査を行い、従来は径15mの円墳と想定されていたものが実は一辺21m の方墳であり、羨道は本来河原石を用いた閉塞石で閉じていたことなどが明らかとな った。
新堂廃寺跡は学史的にも著名で、特異な伽藍配置を持ち、南河内を代表する古代寺 院跡である。オガンジ池瓦窯跡は新堂廃寺に供給した瓦を焼成した瓦窯である。お亀 石古墳の主体部は卓越した規模を持ち、南河内を代表する終末期古墳であるとともに、 出土遺物から新堂廃寺の創建に関わった人物の墓であると想定される。このように、 寺院、瓦窯、古墳が有機的な関連を持って近接して所在する例はきわめて貴重である。 よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。